弱さと罪を放置せず

「だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。」(‭‭コリント人への第二の手紙‬ ‭11‬:‭29‬)

パウロはあらゆる人々にイエスキリストの福音を宣べ伝えようとして、あらゆる災難に遭遇した。

この言葉からパウロが、あらゆる苦しみと弱さの中にいる人々のそばに寄り添い、また共感しようとし、何よりも罪の問題をうやむやにしたり、無関心を装うのではなく、心を燃やして罪の赦しを説き、罪から離れるように励ます姿が目に浮かぶ。

苦しみの中にいる人々に対して、私たちは正邪の判断は不用だ。それは、さばかれる主の領域の話だからである。必要あれば直接的アプローチも良いが、罪の問題は私たちと主との関係を断絶するため蔑ろにせず、罪の告白と悔い改めの勧めたい。主との関係回復、和解に罪の問題の解決は必要不可欠である。

パウロの心が燃えていたのは、苦しみの中にいる人々に寄り添い、また罪の問題解決に関わりたいという強い思いがあったからだろう。

弱い時には主が共にいてくださり、罪の問題は主が解決してくださるのだということを伝え続けたい。

愛する天のお父様、あなたが私たちと共にいてくださり、私たちを愛し、罪を赦してくださることを感謝します。今日もあなたと共に歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。