神の右の手
「たといわたしが悩みのなかを歩いても、 あなたはわたしを生かし、 み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、 あなたの右の手はわたしを救われます。 主はわたしのために、みこころをなしとげられる。 主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることはありません。 あなたのみ手のわざを捨てないでください。」(詩篇 138:7-8)
ダビデは、神の右の手は、私たちが悩みの中を歩いても、 私たちを生かし、 み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、 私たちを救ってくださると歌った。
私たちの多くは右利きで、右手は力を込める手であるり、力強さ、頼もしさを表れている。神の右の手には私たちを強く支える頼もしさがある。
神が力強く右の手でなされることは神の正しさを象徴し、英語でrightという言葉が「右」と「正しい」の意味を持つにも理由がありそうだ。右が強調されるのであり、左が悪い訳ではない。野球では左利きのピッチャーは貴重であり、左打者の出塁率も高い。
聖書の神は、ダビデも信じていた唯一の神、真実の神、私たちを生かし、救ってくださる神である。それは神が私たちを愛してくださっているからである。
私たちが悩みの中にいても、私たちを支えてくださり、守ってくださる。主は私たちのために、神の御心をなしとげられる。 だから私たちは何も恐れることなく、心配する必要もない。主のいつくしみは永遠に絶えることはないとあるから感謝である。
神の右の手に象徴されるように私たちを愛してくださる神は、私たちのために御心をなしとげられ、生かし、救ってくださる。
今日もこの方に信頼して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたの愛の中を歩みます。あなたの守りと救い、あなたの備えと祝福を感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。