豊かな人生

「兄弟たち。私はあなたがたのために、私自身とアポロに当てはめて、以上のことを述べてきました。それは、私たちの例から、「書かれていることを越えない」ことをあなたがたが学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して思い上がることのないようにするためです。」(コリント人への手紙 第一  4:6)

パウロはコリントの教会の人々を諭すためにこのように述べた。

聖書に書かれていることは神の言葉であるから、私たちは聖書に書かれていることを越えて言動することは危険である。神の言葉を正しく理解し、自分の利益のために利用することのないようにくれぐれも気をつけなけばならない。

また私たちは一方にくみし、他方に反対して思い上がることのないようにすることが大切だ。えこひいきは神にも人々にも嫌われる。主を第一にしていたら、えこひいきなどないはずだ。

そしてパウロはコリントの人々の高慢さに言及した。「いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。あなたがたは、もう満ち足りています。すでに豊かになっています。私たち抜きで王様になっています。いっそのこと、本当に王様になっていたらよかったのです。そうすれば、私たちもあなたがたとともに、王様になれたでしょうに。」(コリント人への手紙 第一  4:6-8)

豊かになっているのに豊かではないこと、満ち足りているのに満ち足りていないことを誇るとはどういうことだろうか?パウロはコリントの教会の人たちが王様になっていると指摘しているのは、彼らが貪欲で、与えられている祝福に満足や感謝をしていないことを示唆しているのだろうか?

パウロは自ら使徒たちの状況と、教会の状況の相違をこう説明した。「私はこう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、最後の出場者として引き出されました。こうして私たちは、世界に対し、御使いたちにも人々にも見せ物になりました。私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いのですが、あなたがたは強いのです。あなたがたは尊ばれていますが、私たちは卑しめられています。今この時に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、ひどい扱いを受け、住む所もなく、労苦して自分の手で働いています。ののしられては祝福し、迫害されては耐え忍び、中傷されては、優しいことばをかけています。私たちはこの世の屑、あらゆるものの、かすになりました。今もそうです。」(コリント人への手紙 第一  4:9-13)

ののしられては祝福し、迫害されては耐え忍び、中傷されては、優しいことばをかけることなど心の豊かさがなければなし得ない。

神の言葉にある約束に留まり、惜しみない愛を表して豊かな人生を送りたい。

愛する天のお父様、あなたの言葉を感謝します。あなたが私たちを愛してくださったように私たちも愛を表して生きることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。