一致

「さて、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。」(コリント人への手紙 第一  1:10)

一致するのは人類にとって永遠のテーマかもしれない。人が一致するのは実に至難の業だからである。パウロは「どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください」と言ったが、私たちはどのようにして一致することができるだろうか?

共通目的を持つというのが正解だろうか?あるいは共感できる目的と呼んだら良いだろうか?

ではクリスチャンはどんな時に一致することができるだろうか?基本的には神の言葉に一致できる。神の言葉の解釈に個人差はあるかもしれないが、正しく釈義されれば、ブレることはなかろう。

会衆賛美も一致を生む。一つの声となった賛美は心を打つ。

祈りも私たちを一致させる。アーメンという言葉は「その通りです」という宣言である。

食事をしながらの交わりも私たちを一致させる。通常食事はリラックスして楽しむものだからである。

どうか私たちが語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致することができますように!

愛する天のお父様、あなたの力によって私たちは一致することができます。あなたを信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。