起立

エズラは民全体の目の前で、その書を開いた。彼は民全体よりも高いところにいたのである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。(ネヘミヤ記 8:5-6)

昭和の日本で育った私は、小学校の頃から授業の冒頭に起立して礼をする習慣に馴染んできた。先生が教壇に付くと、日直が号令をかけ、「起立、礼、着席」と日常的に行ってきた。先生に対して敬意を払う行為として、私たちはこのことを知ってきたのだと思う。

エズラが律法の書を開くとイスラエルの民は立ち上がってそこに記されている神の言葉に耳を傾けた。イラエルの民は、神の言葉に特別な敬意を払い、その形として御言葉が朗読されると起立して聞いていた。

起立するにせよ、しないにせよ、私たちの神と神の言葉に対する態度はとても重要である。私たちが自律的に神を敬う心があれば、私たちの行動も私たちの考え方に追従する。

私の小中時代の起立は、学校に強要された部分もあったが、敬意を払う具体的な行動について訓練を受けたことも確かである。今起立して先生を教壇に迎えるとしたら、尊敬の気持ちをより強く持つことができるかもしれない。

それ以上に、神の言葉を読めば読むほど神の愛を知ることができ、神は私を個人的に愛しておられることを知ることができた。だから神の言葉を起立して聞こうとなれば、敬意を持ってすることができる気がする。

神の言葉は私たちの命であり、言葉は神である。

愛する天のお父様、あなたの言葉をありがとうございます。あなたは私たちにあなたの愛を示してくださいました。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。