兄弟姉妹の一致
「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。それは頭に注がれた貴い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。それはまたヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」(詩篇 133:1-3)
兄弟たちが一つになってともに生きることは、なんという幸せ、なんという楽しさだろう!
兄弟たち、血縁関係の男兄弟だけではなく、女姉妹たち、また同胞や教会まで広がる意味も含まないだろうか?
イエスには、父なる神が、世から選び出して与えてくださった人たちがいた。その人たちは、イエスが父なる神の御名を現した人々で、彼らはのみことばを守った人々であった。(ヨハネの福音書 17:6)
イエスは十字架につく前、裏切る者の手によってローマ兵に渡される前に、父なる神に祈った。「わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。」(ヨハネの福音書 17:11)
私たちは常に肉の思いと御霊の思いの狭間で葛藤する。長年クリスチャンをしていても、どんなに信仰が強くても、どんなに尊敬される地位についても、肉の思いは変わることなく私たちに迫り来る。肉の思いの一部は分裂や分派である。一致しようせずに分裂しようとする肉の思いは、簡単には消えない。
だからこそ、私たち兄弟姉妹が一つになってともに生きることは麗しいことであり、それはなんとも言えない素晴らしい幸せや楽しさをもたらす。
それは頭に注がれた貴い油は祝福の象徴である。油は聖別を意味し、王イスラエルの王たちの即位、就任の際に儀式で用いられた。キリストは「油注がれた者」という意味である。また聖霊が与えられることを指して用いられる言葉である。
油がひげに流れ滴るとは、どういうことか?アロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴るとはどういうことか?「モーセは注ぎの油を取って、幕屋とその中にあるすべてのものに油注ぎを行った。こうしてそれらを聖別した。さらに、それを祭壇の上に七度振りまき、祭壇とそのすべての用具、また洗盤とその台の油注ぎを行い、それらを聖別した。また、注ぎの油をアロンの頭に注いだ。こうして彼に油注ぎを行い、彼を聖別した。」(レビ記 8:10-12)
また、兄弟たちが一つになってともに生きることは、ヘルモンからシオンの山々に降りる露のように麗しいものである。地中海性気候のイスラエルに雪や露が降ることで、種類豊富に植物や穀物が豊かに育ち、
私たちが一致することは、神が油を注ぎ、乾燥地帯に露をもたらすほどに祝福するほどに素晴らしいことである。
自分自身を捨て、主にあって一致していきたい。
愛する天のお父様、あなたの御名を賛美します。父子聖霊が一致していたように、私たちも一致することができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
