いつくしみを施してくださる神
「ところがいま、われわれの神、主は、しばし恵みを施して、のがれ残るべき者をわれわれのうちにおき、その聖所のうちに確かなよりどころを与え、こうしてわれわれの神はわれわれの目を明らかにし、われわれをその奴隷のうちにあって、少しく生き返らせられました。 われわれは奴隷の身でありますが、その奴隷たる時にも神はわれわれを見捨てられず、かえってペルシャ王たちの目の前でいつくしみを施して、われわれを生き返らせ、われわれの神の宮を建てさせ、その破壊をつくろわせ、ユダとエルサレムでわれわれに保護を与えられました。」(エズラ記 9:8-9)
イスラエルのつかさたちはエズラのもとに来て言った、「イスラエルの民、祭司およびレビびとは諸国の民と離れないで、カナンびと、ヘテびと、ペリジびと、エブスびと、アンモンびと、モアブびと、エジプトびと、アモリびとなどの憎むべき事を行いました。
憎むべきこととは、神が憎むべきこととしたことである。
具体的に言うと、彼らの娘たちをみずからめとり、またそのむすこたちにめとったので、聖なる種が諸国の民とまじったことである。何よりもつかさたる者、長たる者、つまりリーダーたちが先だってこのことをし、これを「とが」と位置づけられた。つまり忌み嫌われることを犯したことになる。
では、異邦人と結婚することの何が問題だったのか?カナン人など異邦人たちは偶像礼拝し、イスラエルの民が生きているまことの神を礼拝せず、偶像礼拝をすることで、イスラエルの民の最も大切なアイデンティティーが失われてしまうことが最大の問題だった。神はご自身の民がご自身を神として礼拝することから離れ、偶像礼拝に傾くことのないように、この命令が与えられたのであった。
エズラはこの事を聞いた時、着物と上着とを裂き、髪の毛とひげを抜き、驚きあきれてすわった。神との関係が非常に希薄なものとなり、自分たちの中核的アイデンティティーが失われてしまっていたことが判明したからである。
イスラエルの神の言葉におののく者は皆、この問題のことがあってエズラのもとに集まった。エズラはあまりにもショックで、夕の供え物の時まで、驚きあきれてすわった。 しかし夕の供え物の時になって、断食から立ちあがり、着物と上着を裂いたまま、ひざをかがめて、主なる神にむかって手をさし伸べて言った。
「わが神よ、わたしはあなたにむかって顔を上げるのを恥じて、赤面します。われわれの不義は積って頭よりも高くなり、われわれのとがは重なって天に達したからです。 われわれの先祖の日から今日まで、われわれは大いなるとがを負い、われわれの不義によって、われわれとわれわれの王たち、および祭司たちは国々の王たちの手にわたされ、つるぎにかけられ、捕え行かれ、かすめられ、恥をこうむりました。今日のとおりです。」(エズラ記 9:1-7)
異邦人との結婚によって、子どもたちが偶像礼拝することを危惧したため、彼らはこのように祈った。エズラは続けて祈った。「ところがいま、われわれの神、主は、しばし恵みを施して、のがれ残るべき者をわれわれのうちにおき、その聖所のうちに確かなよりどころを与え、こうしてわれわれの神はわれわれの目を明らかにし、われわれをその奴隷のうちにあって、少しく生き返らせられました。われわれは奴隷の身でありますが、その奴隷たる時にも神はわれわれを見捨てられず、かえってペルシャ王たちの目の前でいつくしみを施して、われわれを生き返らせ、われわれの神の宮を建てさせ、その破壊をつくろわせ、ユダとエルサレムでわれわれに保護を与えられました。」(エズラ記 9:8-9)
エズラは、イスラエルが神の命令を無視した咎があったのにもかかわらず、神はイスラエルのために神殿を再建させてくださり、イスラエルの民のアイデンティティを回復することができるようにしてくださったことを感謝して祈ったのである。
神はいつくしみ深く、憐み深い。私たちが自分たちの咎に気づいて神の前に悔い改める時に、神は私たちを神の祝福の中に戻してくださる。今日も主の前に遜り、罪を悔い改め、主の回復を待ち望みたい。
愛する天のお父様、あなたは良いお方です。あなたの憐みを感謝します。あなたを礼拝します。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
