イエスはどんな方?
「1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群集のために見ることができなかった。4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。」(ルカ19:1-6)
エリコの町に、取税人の頭で、金持ちだったザアカイという人物がいた。ザアカイはイエスがどんな方か見たいと思っていた。きっとイエスのうわさを聞いて興味を持ったのであろう。しかし、ザアカイは背が低かったため、町を通っていくイエスの姿を視界にとらえることができなかった。自分より背の高い群集がザアカイの視界を遮っていたのである。
ザアカイはイエスを一目見ようと前方に走り出た。走って近づかなければ、イエスが通り過ぎてしまうからである。前方には、群衆の他にいちじく桑の木があった。ザアカイがそのいちじく桑の木に登ったのは、苦労せずに上ることが出来る木だったからであろう。
いちじく桑はいちじくとは違う木だが、いちじくに似ているので、このように呼ばれていた。いちじく桑は、よく目にする木で、ふんだんに建築木材として使われたことが列王記第一10:12などから分かる。平地の麦畑に多く栽培されているいちじく桑の木は、乾季にいちじくに似た小さな実をつけますが、いちじくほど甘くない。乾季の頃になると、羊飼いたちは青い草を探すのが難しいため、放牧せずに、この木に昇って、小さな実に針で穴を開け、そこにオリーブ油を塗り込み、いちじくの「エテナ」と同じような甘い実にしていた。アモス書7章14節には「いちじく桑の栽培」という職業が出てくる。遊牧の羊飼いたちは青草の乏しい乾季の間は麦畑に羊を放牧して麦の切り株を与えながら、この仕事をして生計を立てていたようだ。
取税人はお金持ちであったが、余分にお金を私腹を肥やすために巻き上げていたことで、嫌われていた。顔が知られている彼らは、高いしゅろ(なつめやし)の木ではなく、たいてい何人かの羊飼いたちが登って実の世話をして働いているいちじく桑に上ることで、大きな葉っぱの茂みに隠れることができ、他に登っている羊飼いもいるため、自分は目立たないで済むと考えたのかもしれない。
イエスは、ちょうどいちじく桑の木の下を通られた時に、イエスは上を見上げてザアカイに言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」家に泊まるとは、近く親しく時間を過ごすことを意味していた。嫌われ者だったザアカイには、この上もない喜びだったのだろう。ザアカイは急いで降りて来て大喜びでイエスを迎えた。
イエスは私たちに近づき、親しく関わり、私たちを大切に扱ってくださるお方である。私たちは、自分の過去は現在を見て、近づけるような存在ではないと決めつけていたとしても、イエスは私たちに思いがけなく近づき、私たちと親しく時間を過ごしてくださる。
私たちをあるがままで受け入れてくださる主に近づいていこう。
愛する天のお父様、あなたは私たちのことをよくご存じで、名前を知っておられます。感謝します。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
