入る門と出る門

しかし、民衆が例祭の日に主の前に入るとき、北の門を通って礼拝に来る者は南の門を通って出て行き、南の門を通って入る者は北の門を通って出て行かなければならない。自分が入った門を通って帰ってはならない。その反対側から出て行かなければならない。君主は、彼らが入るときに一緒に入り、彼らが出るときに一緒に出なければならない。(エゼキエル書 46:9-10)

君主も民衆も主の前に入るとき、北の門を通って礼拝に来るなら南の門を通って出て行き、南の門を通って入るなら北の門を通って出て行くように命じられた。自分が入った門を通って帰らず、その反対側から出て行くように命じられたのである。

安息日も例祭の日も私たちが主を礼拝し主の前に来る日である。主の前に来たら、入った門とは違う門から出ていくように言われた。何か意味があることなのか?

一つ考えられるのは、私たちは礼拝する時に自分自身が変えられるということだ。つまり入ってきた時の自分と出ていく時の自分が違う。

不信仰な考えを持ちながら主の前に来たら、信仰に満ちて主の前から日常生活に出て行く。他人を愛せず赦せない思いを持ちながら入ってきたら、他人を愛し赦す決意を持って出て行く。悲しみは喜びへ変えられ、絶望は希望へ、不安は平安に変えられ、不信感は信頼感に満ちる。

私たちが主を礼拝する時、私たちは変えられる。主の前に来た時、主によって励まされ、強められ、力づけられて出て行きたい。

愛する天のお父様、あなたは偉大なお方です。私たちを栄光から栄光へとあなたの姿へと変えてくださる方です。あなたを信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。