キリストに備えられた体

「ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました。全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物をあなたは、お喜びにはなりませんでした。」(へブル人への手紙 10:5-6)

キリストに備えられた体とは何か?それは神が受肉し、人となられたことを指すのだろう。キリストは人となってこの地に来られ、ご自身の体を私たちの罪の身代わりとして十字架の上でささげられた。

イエスは自らの体をすべての人々の贖いの代価として捧げられることを知って地上を歩まれたのだ。この偉大な使命をいつから知っていたのだろうか?この世界に来てから、あるいはその前から知っていたのだろう。たとえわずかな短い期間であっても、苦しみの中を通らされることを考えるだけでかなりの心的ストレスを抱える。キリストはそのこと全てを承知で地上を歩まれたのか?

かつてイスラエルの民は、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物をささげ、罪の赦しを一時的に受けていた。しかし、これは毎年しなくてはならないことで、人々の記憶にとどまるため、苦しみから完全に自由になるわけではなかった。神が求めていたのは、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物ではなく、一度きりの永遠の贖いであった。それがキリストの十字架のあがないであった。

キリストは、ご自身に備えられた体を持って私たちのために自らいけにえとなり、体を裂かれ、血を流し、信じる私たちを罪から永遠にきよめてくださった。

「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、

それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」(ピリピ人への手紙 2:6-11)

愛する天のお父様、御子イエスキリストがあなたに従い、自らのからだを私たちの罪のあがないのためにささげてくださったことを感謝します。私たちの主イエスキリストの御名によって、アーメン。