ひたすら主の助けを待ち望む

聖句:”私は切に主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け助けを求める叫びを聞いてくださった。 滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ私の歩みを確かにされた。 主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ主に信頼するだろう。” 詩篇 40篇1~3節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:
           これは、ダビデ王が試されていた時の言葉です。「 

私は切に主を待ち望んだ。」人は何かが起こるのを待っています。ダビデのように、私たちは試され、待つことを強いられます。待つことは私たち皆にとってとてもチャレンジングな時間です。待っている間というのは私にとってもとてもチャレンジングです。ひたすら待ち続けることは私たちを次の次元に連れて行ってくれます。私たちは、神様が私たちの時間軸で行動を起こして欲しいの思う時があります。しかし、その逆に、神様の時間軸で神様が動かれるのを待つことが私たちにとって必要なことなのです。神様のタイミングを待たなければならず、それは私たちを取り巻く状況によってそのタイミングが決まるのではありません。それは、神様のみこころと目的によって、神様の時間軸で神様が動かれるのです。             私たちは、ただ何かを漫然と待つだけでなく、何かをひたすら待ち続けるように背中を押されていることがあります。あまり楽しいようには聞こえません。私はあまり我慢強い人間ではありません。ダビデは主をひたすら待ち続けました。神様がダビデに

耳を傾け助けを求める叫びを聞いてくれるのを待っていたのです。そして、主は動かれました。ダビデはこう言いました。「 私は切に主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け助けを求める叫びを聞いてくださった。」             主が私たちに耳を傾け、助けを求める叫び声を聞いてくださることを待つには、私たちサイドに忍耐と、神様がきっと私たちに耳を貸してくださることを信頼することが求められます。ひたすら辛抱強く待ち続け、主に信頼することで、いつかは報われます。 ダビデが主を待ち望んだこ時に何が起きたか、見てみましょう。·      主がダビデに耳を傾けてくれた·      主は助けを求める叫びを聞いてくださった…主は常に私たちのことを気にかけてくれて、祈りを聞いてくださいます。·      主は

滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった…泥沼に足を滑らせてしまうことはよくあることです。そして、人生の泥のような問題に私たちが覆われてしまうことも。しかし、神様は、私たちが神様のことをひたすら待とうとするならば、神様は私たちをそこから引き上げてくださいます。·      主はダビデ

の足を巌に立たせ歩みを確かにされた。·      

主は新しい歌を私たちの神への賛美をダビデの口に授けてくださった。主をひたすらに待ったことの祝福が、ダビデ王が神様の動かれるのを見ることができるように導かれたことでした。待つことの祝福を見ながら、急いで自分の力によって状況を打開しようとはせず、

待つことの祝福を見ていました。人は生きるためにもがき苦しみながらも、生きていることに疲れを覚えます。ダビデ王は、「主はこの口に授けてくださった。新しい歌を私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ主に信頼するだろう。」と言っています。私たちの悩みや葛藤、そして、主が私たちに耳を傾けてくれることをひたすら待ち続けることは、単に私たちのためだけのものではありません。それは私たちのために神様が働かれるのをこの世が見るためのものでもあるのです。物事がうまく行っていない時に、歌を歌うのはとても難しく、チャレンジングなことです。しかし、神様が私たちに耳を傾け、私たちの祈りを聞き、私たちのために働かれる時、私たちの神様は本当に良い神様であると宣言せざるおえなくなります。
物事に苦悩したり、もがいたりすることは決して楽しいものではありません。しかし、神様が私たちとともに私たちの問題の中にいてくださるとき、私たちは、主が私たちをそこから引き上げ、私たちの足をしっかりした巌の上に立たせてくださることを主に信頼することができます。神様が私たちの口に新しい歌、そして、多くの人たちが主に聞き、主を信頼するようになるような賛美を授けてくださいます。神様は、あなたの問題の中に目的を持っておられます。ただ、ひたすら主を待ち望こと。そうすれば、私たちが神様の目的に信頼することを学ぶときに、主はすべてのことを良い方向に向けてくださります。
適用:            私は決して辛抱強い人間ではありません。自分のせっかちな性格のせいで、失敗したことは何度もあります。しかし、今日、ダビデ王からこの真理を受け取りました。私は、どのようにしたら、単に漫然と待っているだけでなく、期待を持って、神様の目的への信頼とともに待つことを学必要があります。私の葛藤から私を引き上げてくれ、堅悟な巌の上に私の足をおき、そして、私がチャレンジングな状況にいる中でも私の口に歌を授けてくれることができる神様に私の全幅の信頼をおき続けていきます。
祈り:            イエス様、今日のダビデ王から教わった、神様が神様のタイミングで動かれることをひたすら待ち続けるという教訓を感謝します。あなたが行動されるのを辛抱強く待つことができるよう私を助けてください。

あなたが私を導いてくれることを待てずに、私が勝手に行動してしまうことをどうか許してください。あなたのタイミングに信頼すること、そして、不必要に苦悩したりもがいたりする必要がないことを教えてくださり感謝します。常にあなたに信頼することを私に教えてください。アーメン!