あがないの金

「そこでモーセは、レビびとによってあがなわれた者を超過した人々から、あがないの金を取った。 すなわち、モーセは、イスラエルの人々のういごから、聖所のシケルにしたがって千三百六十五シケルの銀を取り、 そのあがないの金を、主の言葉にしたがって、アロンとその子たちに渡した。主がモーセに命じられたとおりである。」(‭‭民数記‬ ‭3‬:‭‭49‬-‭51‬)

あがないの金はイスラエルの人々のうちの、主がすべてのういごの代りにレビびとを取るにあたり、イスラエルの人々のういごの数がレビびとの数を二百七十三人超過していることから、そのあがないのために、 そのあたまかずによって、ひとりごとに銀五シケルを取るためのものだった。

主はレビ人不足分の帳尻をピッタリ合わせられた。モーセは主に従い、イスラエルの人々のういごから聖所のシケルにしたがって千三百六十五シケルの銀を取り、 そのあがないの金をアロンとその子たちに渡したのである。

私たちの主は御子イエスキリストの尊い血によって、私たちの罪をあがなってくださった。その血はすべての人の罪の代価に値する高価なものであった。逆に言うならば、私たちの罪はキリストの血潮無しにあがなわれることはないのである。

本来なら、私たちの罪はどんなお金やものをもってもあがなわれることはできない。だから計り知れない生命をもって主はあがなわれた。神ご自身の血はすべての人のすべての罪のために流すことができる計り知れない価値と力がある。

私たちの罪をご自身の血をもってあがなってくださった主に感謝したい。

愛する天のお父様、あなたの尊い血による私たちの罪のあがないを心から感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。