主に仕える恵み

「そしてイスラエルの人々のうち、その父祖の家にしたがって数えられた者は、すべてイスラエルのうち、戦争に出ることのできる二十歳以上の者であって、 その数えられた者は合わせて六十万三千五百五十人であった。 しかし、レビびとは、その父祖の部族にしたがって、そのうちに数えられなかった。」(‭‭民数記‬ ‭1‬:‭45‬-‭47‬)

民数記が書かれた当時、イスラエルの民の中で「戦争に出ることのできる二十歳以上の者」は、レビ人を除いて六十万三千五百五十人が登録された。レビ人が数えられなかったのは、主が「あなたはレビの部族だけは数えてはならない。またその総数をイスラエルの人々のうちに数えあげてはならない。」(民数記‬ ‭1‬:‭49‬)と命じられたからである。その理由は「あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびすべてそれに付属するものを管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これに仕え」(民数記 1:50)ためであった。

なぜレビ人だけが他のイスラエル部族から取られて、彼らだけが幕屋の奉仕にあずかることになったのか?

イスラエルの族長のレビについて見てみると、必ずしも良い性格の持ち主ではなかった。レビは妹ディナのことでシェケムとヒビ人たちに復讐し虐殺した。後になってイスラエルと呼ばれたヤコブは、レビとシメオンについてこのように預言した。「シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。…」(創世49:5)」しかし、幕屋の奉仕の務めのためにレビが神に選ばれたのは、神の恵みというしか他ない。

私たちは自らを誇ることはできず、ただ神の恵みと憐れみによって神の働きに携わらせていただいていることを思い出したい。

愛する天のお父様、あなたの恵みと憐れみを感謝します。あなたに仕えることは私たちにとっての祝福です。主イエスキリストの御名によって、アーメン。