獅子に追われて散った羊

「イスラエルは、ししに追われて散った羊である。初めにアッスリヤの王がこれを食い、そして今はついにバビロンの王ネブカデレザルがその骨をかじった。 それゆえ万軍の主、イスラエルの神は、こう言われる、見よ、わたしはアッスリヤの王を罰したように、バビロンの王とその国に罰を下す。 わたしはイスラエルを再びその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べる。またエフライムの山とギレアデでその望みが満たされる。 主は言われる、その日その時には、イスラエルのとがを探しても見当らず、ユダの罪を探してもない。それはわたしが残しておく人々を、ゆるすからである。」(エレミヤ書‬ ‭50‬:‭17‬-‭20‬)

エレミヤの時代、世界制覇を目指し三つどもえに争うアッシリヤとバビロンとエジプトがエルサレムを占拠しようとした。その時に預言者として起こされたイザヤは、アッスリヤからエルサレムを救ったが、エレミヤは「もし悔い改めるならば、神はバビロンから救われるであろう」と絶えず叫び続けるが、紀元前588年には占拠され、イスラエルの民のほとんどはバビロンに捕囚となった。

まさに主は「イスラエルは、ししに追われて散った羊である。」と言われた通りである。「初めにアッスリヤの王がこれを食い、そして今はついにバビロンの王ネブカデレザルがその骨をかじった。」

しかし万軍の主、イスラエルの神の計画は終わらず、イスラエルの復興、。主は言われた。「見よ、わたしはアッスリヤの王を罰したように、バビロンの王とその国に罰を下す。 わたしはイスラエルを再びその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べる。またエフライムの山とギレアデでその望みが満たされる。 主は言われる、その日その時には、イスラエルのとがを探しても見当らず、ユダの罪を探してもない。それはわたしが残しておく人々を、ゆるすからである。」

イスラエルとユダが犯した偶像礼拝と不品行の罪を彼らが悔い改めることで、主は彼らの罪を赦される。獅子に追われて散った羊を象徴するイスラエルを主は「再びその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べる」ようにされる。

私たちは羊のような存在であるが、時に自分が獅子であるかのように勘違いしてしまうことがある。自らの傲慢さによって獅子に追われた羊のようになり、神の憐れみによって牧場に戻され、草を食べるような状況に変えられることを感謝する者となりたい。

愛する天のお父様、あなたの憐れみをありがとうございます。あなたは私の人生を立て直してくださいます。感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。