激しい論争と意見の相違の処し方

聖句:

“さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。

それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。”

使徒の働き 15章1~2節

“それから数日後、パウロはバルナバに言った。「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか。」

バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。

しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。

こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、

パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。

そしてシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけた。”

使徒の働き 15章36~41節

観察:

            この章の冒頭で、パウロとバルナバは、教会でモーセから教えられたしきたりに従って割礼を行うべきであると主張する人たちと激しい論争になりけんけんがくがくの議論をしています。この論争があまりに激しかったので、パウロとバルナバは他の信者たちとともに、エルサレムに上り、議論の争点について使徒や長老たちに会いに行くべくその任を任されました。この意見の相違は、教義上の問題でした。 

            そして、この章の最後には、バルナバが自分の甥であるマルコを連れて行こうと主張したことに対して、パウロとバルナバが激しく対立している姿が記されています。 その理由は、マルコが自分たちが必要とするときに、自分たちを見捨て帰ってしまったからというものでした。 パウロとバルナバに起こったことは、今日でも教会で問題になっています。 その二つの問題は、教義的な問題と人間関係の問題です。 この二つは、しばしば教会を分裂させ、キリストの体である教会に多くの痛みを与えてきました。 

            意見の相違をどう処理したら良いのでしょうか?多くの場合、私たちは些細なことで意見が合わず、それが膿み、人間関係に影響を与えることがあります。 意見の相違を処理するには、神様を敬い、意見の相違を持つ人同士が互いをリスペクトすることが必須です。私たちは皆、相手の理由を聞くまでは、どんな状況でも自分が正しいと信じることの理由があります。 私たち夫婦でさえも、時々、意見の相違があります。 もっとも、私自身は常に自分が正しいと思い込んでいることが多いのですが。しかし、妻が絶対に正しいのに、私のプライドから、妻の考えや提案がベストだと認めようとしないことがあります。

            上記の二つの出来事における意見の相違は、私たちの意見の違いを解決する方法とは違っているかもしれません。しかし、パウロとバルナバがどのように問題を処理しようとしたかは注目すべきことです。ユダヤやアンティオキアから下ってきた人々との意見の相違は、使徒たちがいたユダヤに問題を持ち帰ってその問題点を整理し明確にすることによって対処されました。 これは、教義的な問題を解決しようとした一つの方法でした。

            バルナバがマルコを同行させることについて意見の対立は、二人の間に亀裂を生じるに至りました。 仲間に入れるかどうかで喧嘩別れをするというのは、とても幼稚な感じがします。 しかし、結果はベストではなかったかもしれませんが、少なくとも彼らは互いに距離を置くことで問題を解決しました。  ベストな結果ではなかったかもしれませんが、とりあえずは、それによって、彼らが前に進み、神様が望んでおられることをする機会となりました。  私たちは、激しい論争や意見の相違をどのように処理したらよいかを知っています。 神様が明快な答えをもたらしてくださることを信じましょう。私たちは互いに耳を傾けるだけの謙虚さを持たなければなりません。 人間関係には常に争いや意見の相違がつきものですが、私たちは神様がどうされるかを考えながら解決方法を模索しなければなりません。

適用:

            自分が常に正しいとは限らないということを学びます。 私は、他の人の意見の背景や考えをよく吟味し続けなければなりません。 また、たとえ予想外の結果になったとしても、正しいことをすることを恐れてはいけません。 どんなことでも、どんな困難なことでも、イエスさまであればどうするだろうと考えながら、解決に向けて努力することができるようになりたいです。 

祈り:

            父なる神様、あなたの体である教会の兄弟姉妹と激しい論争や意見の相違がある時、あなたに目を向けるようことができるよう、私を教えてください。 私が自分勝手な理屈に頼らず、あらゆる場面であなたのことを敬い、最善の方法を探し出すことができるように助けてください。 聖霊さま、私を導いてください。 私が思うようにコミュニケーションできないとき、あなたが私に、そして、私を通して語ってくださることを期待します。 イエスさま、あなたを仰ぎ見ます。