礼拝はイエスさまの価値を認めること

聖句:”その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。彼らは大声で叫んだ。「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです」と言うと、長老は私に言った。「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。”ヨハネの黙示録 7章9~14節

観察:            ヨハネは天で、すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立っているのを見ました。 この大群衆は白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていました。私たちがこの地上で行っているイエスさまへの礼拝は、私たちが実際にイエスさまの前に立つときの予行演習にすぎません。 礼拝とは、自分の感情や気分でするものではありません。感情や感覚は、私が抱くイエスさまの真理を運び、それを中継するための器にすぎません。 私が気持ちよくなるための歌やリズムではなく、イエスさまとは誰なのか、その価値を表現するためのものです。 礼拝とは、内側に焦点を合わせるのではなく、イエスさまに向け焦点を合わせることです。
            すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前で、イエスさまに賛美を捧げていました。 イエスさまは、御父が御霊と真理によって礼拝する者を求めておられる時が来ていると教えられました。 その意味は、私が神様を礼拝する、その礼拝における心構えは神様の霊によって、イエスさまの価値に関する真理を表現することです。 イエスさまは礼拝されるべきお方です。 

           その彼らは大きな声で叫びました。 礼拝によって、イエスさまがどれほど価値のあるお方で、私たちのために何をしてくださったかを称えられるとき、それはとんでもなく美しい景色です。 ヨハネは、天国で礼拝がどのように行われるかを見聞きしました。 すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆の大きな声が天使や長老たちを動かし、御座の前にひれ伏して神様を礼拝したのです。 これは、私たちがこの地上でイエスさまを礼拝するとき、これと同じことが起きていて、礼拝によって天が動くのです。 これは、私たちがどのように礼拝するのか、なぜ礼拝するのかについて考えさせられるテーマです。 地球がキリストを礼拝し、キリストの価値を表現するとき、天は動きます。

           「救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。」という歌で、イエスさまの価値に帰するとき、私たちの礼拝が天を動かします。   御使いたちはみな、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して、「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。」と言いました。

            天と地が一体となって、イエスさまの価値を讃えながら礼拝をしている光景です。 これこそ、私の日曜礼拝を動かすだけでなく、私自身のイエスさまの御前での礼拝の時を動かすような、礼拝のあるべき礼拝の音色であり感覚です。 礼拝とは、キリストの栄光のために、イエスさまの体である教会全体が一体となって、大きな声でイエスさまの価値を宣言する力強い瞬間です。 これこそ、御父が礼拝者に求めておられる礼拝です。 
適用:私は公私にわたり礼拝をしていかなければならないというなんという気づきでしょう。礼拝は、イエスさまを誉める力強いものです。 御使と長老たちは、キリストを称えることによって、真の礼拝とは何かを私に思い起こさせてくれました。 彼らは賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いを永遠に私たちの神様に帰しているのです。 礼拝とは、御使や長老たちが神の御座の前で行っているように、イエスさまに捧げることなのです。 私は、御使と長老たちがしたように、自分の礼拝の態度を模すべきであることを思い起こさせられます。 他のクリスチャンたちの間でも、自分の日常生活の中でも、このようにイエスさまを礼拝したいと思います。

祈り: イエスさま、父が求める礼拝者とはどうあるべきかを私に思い起こさせてくださり感謝します。私の中の御霊に動かされることなく、ただ私の感情や気持ちから出ている賛美をあなたのみ前にお出したくはありません。 御霊と真理によってあなたを礼拝するにはどうすべきなのか教えてください。 私の人生の中で、礼拝者としてあなたを尊ぶ方法を教えてください。 私が礼拝であなたのみ前に進み出る時、へりくだることができるように教えてください。 あなたを心から礼拝する者となれるように、私を導いてください。