父は今に至るまで働いておられる

「そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。」(ヨハネによる福音書‬ ‭5‬:‭17‬-‭18)

イエスが安息日に休まずに働いておられたこと、また、イエスが神を自分の父と呼び、自分を神と等しいものとされたことは、ユダヤ人たちにとって到底受け入れることのできないものだった。

安息日はイスラエルの民にとって大きな祝福だった。それは長年彼らはエジプトで奴隷として休みなく働かされていたからである。エジプトから脱出したということは、かつてのように無休で働くことからの解放であった。エジプトから出て約束の地に向かう中で与えられたのが安息日を守るという神から命令だった。それはイスラエルの民が守られるためであり、イスラエルの民の重荷ではなかった。

このことを理解していなかったイスラエルの子孫であり、戒めを曲解してしまった人たちがユダヤ人である。彼らは同胞たちに対して安息日に働くことを何か忌まわしいものかのように扱ったのである。だからイエスが安息日に働くということを受け入れることは出来なかった。

イエスが安息日にも、日にちに関係なく働いていたのは、父なる神ご自身が休むことなく働かれていたからである。

だからイエスがユダヤ人たちに安息日に働くことや、神を父と呼んだことは事実であっても、イエスが神の子であることを認めないユダヤ人にとっては神への冒涜でしかなかった。

一番の壁は、ユダヤ人たちの不信仰であった。私は信じない者ではなく、信じる者になりたい。

愛する天のお父様、あなたは今日も働き、私たちを見捨てず、離れることもないことを感謝します。イエスは私たちの救い主です。主イエスキリストの御名によって、アーメン。