神のみこころを行おうと思う者

「そこでイエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教はわたし自身の教ではなく、わたしをつかわされたかたの教である。 神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。」(‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭7‬:‭16‬-‭17‬)

イエスの教えは自分の教えではなく、イエスを遣わされた方、つまり父なる神の教えだと言われた。

イエスと父なる神は違う神という訳ではない。三位一体の、同じ一つの神である。イエスが父の教えを教えていると述べたのは、父の御心を行う方であることと、イエスが父なる神から遣わされた方であることをユダヤ人たちに伝えるためだった。

イエスの教えが神からのものかどうか、またイエスが何者なのかは、神のみこころを行おうと思う者であれば、わかるものである。こんなことを堂々と述べるところがすごい。本物かクレイジーでなければ、とても言えない。

イエスが神から遣わされ、また神の教えとして信じていきたい。神の御心を行っているなら、受け入れられるはずである。

愛する天のお父様、イエスはあなたの御子であり、また救い主です。主イエスキリストの御名によって、アーメン。