父の家

「さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。」(‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭2‬:‭13‬-‭17‬)

詩篇69:9に「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」という言葉がある。

イエスの弟子たちは、イエスが商売人たちが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言ったのを見て、この言葉を思い出した。

祭の時は客も商売人も賑わう。市場が賑わうのは大いに結構であるが、父なる神の家として建てられた神殿では心を主に向ける祈りや礼拝場所であり、自分たちの儲けやモノに向ける場所ではない。

私たちは日々の生活の中で収入を得る必要がある。その収入源は職場などを想定するかもしれないが、その先の源は主なる神である。この方を第一にすることで、私たちの自然的必要はすべて満たされる。このことを忘れて神を礼拝する場所で商いに勤しむことのないようにしたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの備え主です。あなたに祈り、また礼拝することを第一にすることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。