人生で忍耐の限界を超えてしまうような時に知っておくべき真理

聖句:

“私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。

神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。”

コリント人への手紙 第二 1章21~22節

観察:

            パウロのコリントの兄弟姉妹への挨拶は、困難の時には希望を持ち、慰められるようにという励ましの言葉で始まっています。パウロは、神様が自分たちを慰めてくださるその慰めは、私たちが困っている人に分け与えることができる慰めであると、信者たちを励ましました。 パウロは先に、「兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。」と。

            私たちの悩みは、私たちの耐える力をはるかに超えていることがあり、パウロたちのように人生に失望し、さらには、絶望させてしまうことがあります。 人生において、死の宣告を受けているように思えるようなこともあります。 人生にはとてつもないプレッシャーがかかり、自分の手に負えないことがあります。 夫婦関係はプレッシャーだ、労働環境は耐え難い、人と一緒にいるのは疲れる、兄弟の確執がひどくなる、などなど。 

            パウロは、彼らに起こっていることは、彼らが自分たちに頼るのではなく、死者をよみがえらせる神に頼ることができるようになるためのものであことを見抜いていたのです。 このように、パウロは、「今」、自分、自分のチーム、そしてコリントの教会を、キリストのうちに堅く立たせるのは神である、と言いました。 私たちをキリストのうちに堅く、揺るぎなく立たせ、すべての困難に耐えさせてくれるのは神様なのです。 

            第二に、神様が私たちをキリストのうちに油を注がれたのです。  「油注がれた」という言葉は、神様が私たちを選び、ご自分のために聖別されたという意味です。 また、私たちが直面することに耐えられるように、神様が私たちに油を注いでくださった、という意味もあります。 パウロは、神様が私たちに所有者としての証印を押された、と続けます。 キリストのうちに堅く立つすべての信者は、神様のものです。 そして、イエスさまのうちに堅く立つすべての信者は、その心に神様の霊を宿しているのです。 

            真実は、私たちが困難な時に一人でいることはないということです。 私たちの天の父である神様は、人生が私たちの対処能力を超えて耐えがたくなったとき、いつも私たちに関わっていて、旅の歩みを共にしてくださいます。 神様は、人生が自分に優しくなく、絶望的な瞬間に満ちているときでも、決して私たちを、見捨てたり、見放したりはしません。 神様は必要な時に私たちを助けてくれる存在です。 神様は、人生が私たちに息を吹きかけ、脅威と悩みをもたらすとき、私たちが避難するための塔なのです。 

適用:

            私は今日、問題が私の人生の旅で起きたをとき、神様が私の人生の中に常に存在していることを思い出させてくれたことに感謝しています。 人生で何が起ころうとも、私の神様は、人生が耐え難いものであっても、私と共に旅をしてくださるという、神様の存在の約束を私は確信しています。神様は私をキリストの中に堅く立たせてくださいます。 私が神様のものであること、そして神様がいつもそこにおられることを思い出させてくれるのです。 ですから、私は今日、イエスさまに全幅の信頼を置きます。 

祈り:

            イエスさま、あなたは私の主であり救い主です。 あなたは私が弱っているときの心強い存在であり、必要なときにいつも助けてくれる存在です。 あなたは私が人生の問題に立ち向かうために必要な力であることに感謝します。 私は今日、希望を持ってあなたを見つめ、あなたの恵み深い腕の中に私の人生を委ねます。 私が慰めを必要とする時に、あなたが私の慰めであることを感謝します。