涙を流せ

「シオンの娘よ、声高らかに主に呼ばわれ、 夜も昼も川のように涙を流せ。 みずから安んじることをせず、 あなたのひとみを休ませるな。」(哀歌‬ ‭2:18‬)

「涙を流せ」とエレミヤを通して主が言ったのは、イスラエルの民が神に背いたことで、カルデヤ人の王の侵略を受けて、親しい人々は殺され、捕らえられ、彼らが悲しい目にあったからである。「ユダは悩みと多くの労役のうちに捕らえ移された」(哀歌1:3)とある通りだ。

イスラエルとユダの民の荒れ果てた故郷は破滅に追い込まれ、神の祝福が奪い去られた無残な姿であった。

イスラエルの民が主の前に犯した罪の結果は、涙であり、心が安んじたり、休むこともできない状況であった。

私たちも涙するのは罪の結果ばかりというわけではないだろう。悲しみと涙が伴う出来事の中にいるからかもしれない。

悲しみや嘆きの中にいる者たちに向かってヤコブはこう言った。「嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。」(ヤコプの手紙4章9節)

感謝なことに私たちの涙や嘆き、悲しみや苦しみはそのままで終わらない。主イエスは言われた。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」(マタイの福音書 5:4) 

悲しみと涙の中にいる私たちには、主の慰めが与えられる。私たちが、罪を憎み、罪を離れ、主の元に行った時に、私たちは慰められる。たとえ私たちが過去に犯した罪がどんなに酷くても、主は私たちの罪を赦してくださる。主は私たちを清め、私たちを罪の無い者として、主の前に立たせてくださる。

最も大きな慰めは、私たちの罪の完全な赦しと永遠の命である。それは、十字架の上で私たちの身代わりとなって死んでくださったイエス・キリストを信じる信仰によって与えられる神からの無償の贈り物である。

私たちは神に愛され、神の子どもとされ、永遠の命が与えられるからこそ、真の慰めを得ることができる。

愛する天のお父様、あなたは私たちの罪を完全に赦し、永遠の命を与えてくださり、ありがとうございます。あなたは私たちの慰めです。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。