悔い改めとは、新しい心と新しい霊を得るこ
タイトル: 悔い改めとは、新しい心と新しい霊を得ること
聖句:
“それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、それぞれその生き方にしたがってさばく──神である主のことば──。立ち返り、あなたがたのすべての背きから身を翻せ。不義に引き込まれることがないようにせよ。
あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばない──神である主のことば──。だから立ち返って、生きよ。」”
エゼキエル書 18章30~32節
観察:
神様はすべての人にある条件を与え、一人一人に責任を負わせています。神様は私たち一人一人をその生き方により裁かれます。一人ひとりが自分の生き方に責任を持ち、それに応じて裁かれるのです。イスラエルの民に神様が言っているように、すべての人が自分の道を悔い改めなければなりません。悔い改めるとは、私たちの生き方における神様に対するすべての罪から離れることを意味します。
悔い改めるとは、私たちが犯したすべての罪を捨て去ることを意味します。悔い改めとは、新しい心と新しい霊を得ることです。ですから、悔い改めとは、単に口で言うだけではなく、私がこれまで生きてきたすべての誤ったやり方を取り除き、捨てるための行為です。これこそ、神様が私が神様のもとに戻るために必要なことです。悔い改めとは、私が背を向けていた神様に対する敵意を取り除き、新しい心と新しい霊を得なければ、悔い改めとは言えません。
神様は、イスラエルの民に、神様との関係を回復し、裁きから免れるために何をすべきかを教えられました。神様は理性的な神様で、罪人に裁きから逃れる道を与えてくださいます。神様は正しい、恵み深い裁判官であり、罪人に裁きを避けるための出口を与えずに断罪することはなさりません。神様は「イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」と問われました。「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない──神である主のことば──。だから立ち返って、生きよ」と。
神様は不公平だ、愛がない、と言われることがよくあります。しかし、神様が裁きを下される前になさったこの行動は、神様の心を見るための窓を私に与えてくれています。神様はイスラエルの民に、悔い改め、罪から離れ、神様に対しての敵意をすべて取り除く機会を何度も与えられました。神様は、彼らが心を入れ替え、霊を入れ替えることを許されたのです。なんという愛に満ちたみ父でしょう。
適用:
私は、自分の罪のために毎日悔い改めることを新たにコミットします。私は、神様に対して敵意をもつことをやめ、そんな自分自身を捨ててしまいます。私は、日々私に起る変化を映しだす新しい心と新しい霊を持つことを選びます。私は、神様への敵意を悔い改めず、神様の優しさと恵みを当たり前のものと思わないようにします。
祈り:
イエスさま、私の罪のためにこの世に来て、十字架の上で死んでくださりありがとうございます。あなたの恵みと憐れみ、私のすべての罪と不埒な行いを赦してくださることを感謝します。私が毎日悔い改め、邪悪な道から離れることができるように助けてください。また、罪深い欲望を取り除くことができるように助けてください。私の心を変え、あなたを恐れる正しい心を私の中に新しくしてください。