翻って生きよ

「それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。 あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。 わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言わる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。」(‭‭エゼキエル‭18:30-32‬)

罪や咎は私たちを滅ぼす。私たちは悪のために死ぬことは間違いない。神は私たちのおこないに従ってさばくことは確かであるが、罪を悔い改めて、すべてのとがを離れないこと、私たちがすべてのとがを捨て去らないことで、私たちは死んでしまう。

神が私たちをさばくのは、私たちが悔い改めないからである。私たちは死を神のせいにすることはできない。主なる神は何人の死をも喜ばない。だから私たちに翻って生きよと言われる。

たとえ義人であっても、悪を行うなら死ぬ。義人はひとりもいないと主は言われたが、主の目に叶う義人は誰一人いないので、すべての人が自分たちの罪を悔い改める必要がある。

「義人がその義を離れて悪を行い、そのために死ぬなば、彼は自分の行った悪のために死ぬのである。 しかし

がその行った悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼は自分の命を救うことができる。 彼は省みて、そのしたすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。」(‭‭エゼキエル書‬ ‭18:26-28‬)

私たちは自分の罪、持って生まれた罪、人生のどこかでこびり付いた罪があることを認めることができるだろうか?

私たちが悔い改めて、すべてのとがを離れ、主に対して行ったすべてのとがを捨て去るなら、新しい心と、新しい霊とを得る。主は何人の死をも喜ばない。主は私たちに翻って生きることを願っている。

愛する天のお父様、あなたは私たちが罪を離れ、主に翻って生きることを願っています。主イエスキリストの御名によって、アーメン。