ほふられた小羊の血

「彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。」(‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭5‬:‭9‬-‭10‬)

ほふられた小羊の血がどうしたのか?これはイエスキリストの話である。

小羊は、かつてイスラエルの民が自分たちの罪のあがないのために生贄として用いられた動物である。

イスラエルの民は自分たちが罪を犯したことを、モーセの律法あるいは罪の呵責によって悟った。神との関係において罪の問題は解決されなければならない。だから人々は日々やぎや小羊や子牛などの動物の生贄をささげ、祭司の下で屠った血によって自分の罪の赦しときよめを確信した。大祭司も年に一度至聖所に入り、民の罪のための供物をもって、罪のあがないをした。

「しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。」(ヘブル人への手紙‬ ‭9‬:‭11‬-‭12‬)

キリストの十字架は人類すべてのすべての罪のために永遠のあがないを全うされたのである。だからキリストの十字架は尊いのであり、その血は私たちのあがないのためであった。

キリストはご自身の屠られた血によって、二千年以上経つ今日生きる私たちを神のためにあがない、 私たちを神の御国の民とし、祭司としてくださり、キリストと共に地上を支配するに至らせてくださる。それは暴力による支配ではなく、平和と義による支配である。

終わりの日に神の下にある巻物の封印をキリストが解くことで、あがないが完成され、キリストの支配が始まる。

私たちは神をほめたたえ、イエスキリストを賛美する。

天の御国ではこのような情景がある。「さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、 大声で叫んでいた、 「ほふられた小羊こそは、 力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、 さんびとを受けるにふさわしい」。 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、 「御座にいますかたと小羊とに、 さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、 世々限りなくあるように」。」(‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭5‬:‭11‬-‭13‬)

愛する天のお父様、御座にいますあなたと小羊イエスとに、 さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、 世々限りなくありますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。