イエスさまは人が滅びることを望んではおられない

聖句:
“あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。※後代の写本に十一節として〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕を加えるものもあるあなたがたはどう思いますか。もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父のみこころではありません。”マタイの福音書 18章10~14節

観察:            イエスさまは、この箇所の前の一節で、数節前に、イエスさまを信じる子どもたちの一人でもつまずかせることについて注意するように教えられました。  小さな命をつまずかせ、迷わせた人に対してイエスさまはこう言っています。「誰でもこのような子どもの一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められる方が良いのです。」と。 それは、小さな命をつまずかせ、迷わせたことに対する厳しい罰です。 イエスさまは、多くの人をつまずかせるような苦難がやって来るとしています。 しかし、誰かをつまずかせるような人には最も厳しい言葉が待っています。

            イエスさまは、百匹の羊を飼っている羊飼いの一匹が迷い出てしまうたとて話をされました。 イエスさまは、「もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。」と話されました。 イエスさまは続けて、「もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。」と。 
            小さな子どもたちは、しばしば無邪気な間違いを犯します。 小さな子どもは、簡単に人に操られ、惑わされ、欺かれてしまいます。 小さな子供たちは、周囲の危険性に必ずしも気づいてはいません。 彼らが見るものすべてはきれいで楽しさに溢れています。 あなたがちゃんと見守ってあげていなければ、彼らは常に迷い出てしまうでしょう。 イエスさまは弟子たちに、私たちがあまり意識していないもう一つの側面について説明しています。 「天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」と。
            これは、私たちがしばしば気づかない天の三国の現実です。 天は私たちの人生を見守り、常に見守ってくださっています。  み父はさまよえる信者を見守り、いつも気にかけてくださっています。信者として、この小さな子どもたちに関する原則は、信仰を持ったばかりの赤ちゃん信者にも当てはまります。 多くの新しくクリスチャンになった人や信仰において若い信者は、軽蔑され、無視され、その結果、群れを離れて迷い出てしまうことがよくあります。 イエスさまは、小さな子どもたちや、すぐに信仰の危険な領域へと歩き出してしまう生まれたての信者たちに心を砕いておられます。
            イエスさまの心は、若いけれども、信仰の中で危険な場所に迷い出てしまったて軽んじられている人たちのことを本当に思っているのです。 イエスさまは、迷い出て行った羊を見つけた人にとって、それは大いなる喜びであり、どんなに幸せなことかと、語っておられます。 同じように、私たちの天のみ父も、これらの小さな子どもたちが一人として滅びることを望んでおられません。 私たちの天のみ父は、私たちが安全な群れから迷い出てしまったときには、どんなことをしてでも私たちを探してくださいます。 そして、私たちを見つけ、その人を抱擁し守ってくれるところに連れ戻すとき、天のみ父は喜びと真の幸を見出します。 
            私たちは皆、神様が私たちの人生に連れてきた小さな者たち、また信仰の弱い者や新しい信者を、神様の愛と神様の群れの中の安全な場所から迷わせる原因となってはいけない責任があります。 これは、弟子たちに、他の人たちを迷わせ、群れから離れさせないようにという注意です。私たちは互いに責任を負っているのです。 
適用:            これは、私が人々を父なる神から迷い出させる者にならないための、力を持った警告です。 私は、人々をイエスさまに導くために最大限の努力をしたいと思います。 羊飼いの心を持って、イエスさまから遠ざかっている人々に手を差し伸べ、彼らを見守っていきたいと思います。 私はこのことで、何度も失敗してきたと思います。 イエスさまの愛する人へ羊飼いの心を持ちたいです。 私は、主の子どもたちを励ます者であり、ガッカリさせる者にならないよう、最大限の努力をしたいと思います。 
祈り:            イエスさま、私があるべき姿でないときに、あなたが私の羊飼いとして、私のことを気にかけてくださっていることに感謝します。 私が迷い、あなたの元へ戻る道を見つけられないでいた時、私を探し求めてくださったことに感謝します。 たとえ私があなたを見ることなく、あなたを感じられないときでも、あなたはいつもそこにいるとわかるように私を助けてください。 他の人の行動に私が迷い出てしまうことがないように、そして、あなたにどう従っていったら良いのか、私に教えてください。私は日々あなたが必要です。