納税

「ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。 ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。 しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。」(‭‭マタイによる福音書‬ ‭17‬:‭25‬-‭27‬)

イエスと弟子たちがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。 それに対して弟子の一人ペテロは「納めておられます」と言った。

このやり取りに関してイエスはシモンに聞いた。「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。 ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。」

税金は王や王族は免除されると述べたあたりに、イエスご自身も王もしくは王子であることを暗に意味している。しかし、「彼らをつまずかせないために」という配慮も忘れていない。社会の一員として税金を納めるように指示された。

どのように納めるのかというと、「海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。」(‭‭マタイによる福音書‬ ‭17‬:‭25‬-‭27‬)

税金支払いの出処は、自分の財布ではなく、捕まえた魚の口にある銀貨があるので、それを使って納めるようにと言われた。神は私たちに不思議な方法で備えてくださるということ、本来は王の王であり、神の子であるため納税する必要はないことを教えたかったのだろうか?

イエスは王権を振りかざす乱暴なやり方ではなく、社会の一員として納税し、証することで神の愛を表された。

私たちはイエスと立場は全く違う。神の子どもとされたが、神の愛を証するために、社会の良識に従い、神のために一生懸命働き、税金を納め、主にささげ、主に養われ、備えられ、また守られて歩みたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの主です。あなたを証する者として歩むことが出来ますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。