主が私にしてくださった大きなこと

イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。(マルコの福音書 5:18-20)

イエスとその一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。彼はたびたび足かせと鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはできなかった。それで、夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのである。彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。(マルコの福音書 5:1-6)

この悪霊に憑かれた人は、自分の体を傷めつけるほど激しく危険なものであった。誰も彼に近づかなかったことだろう。しかし彼は遠くからイエスを見つけると、走ってきて礼拝したという。悪霊に憑りつかれていても、礼拝できるようだ。

この男は大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。

この男自身ではなく、この男の中にいた汚れた霊が問題だったので、イエスはこの悪霊を追い出そうとした。なぜこの男に憑りついたのかについては触れていないが、悪霊に憑りつかれた状態になっている人は、自らの体や人生を滅ぼしかねないので、イエスは追い出そうとしていたのである。

悪霊たちの名はレギオンで、イエスが汚れた霊どもを近くにいた二千匹の豚の群れに入るのを許すと、その豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。かなりの経済的損失を被っただろう。豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。悪霊の働きと解放を目にしたからだろうか?町や里の人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。

正気に返っていること自体は素晴らしいことであろうが、人々が恐ろしく感じ、またイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願したとはどういうことだろうか?(マルコの福音書 5:13-17) イエスが人々を解放し、偉大な働きをするのを歓迎しない理由は何だろうか?

他の多くの人々が解放されるのを好まないのか?さらなる経済損失を被るのを嫌っていたのか?

イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。(マルコの福音書 5:18-20)

悪霊から解放され、正気に戻った人の、その後の人生は、イエスが彼にどれほど大きなことをしてくださったかを、自分の故郷で言い広めることだった。これを証という。

私たちが人々にイエスのことを言い広めるのを伝道というが、自分の知り合いや家族にイエスのことを伝えるのは私たち自身である。私たちが自分の周りの人々に、主がどんな大きなことをしてくださったのか伝えることが大切だ。

愛する天のお父様、あなたの素晴らしいみわざを教会だけではなく、自分の家族、職場、友人たち、近所に言い広めます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。