復活の望み

また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。(使徒の働き 24:15-16)

私たちには神に対して復活の望みを抱いている。神が御子イエスを死から復活させ、永遠に神の右の座におかれたように、私たちもキリストを信じる信仰によって、死んでもよみがえるという復活の希望を神に対して抱いている。当然、私たちは自分の力で復活することはできない。心臓マッサージで一時的に生き返ったとしても、一時的であって永遠ではない。

私たちがよみがえるのは、永遠によみがえる。そんなことがどのようにしてわかるのか?

神自身がそのように言っておられるので、私たちは知ることができ、また信じることができたのである。

死からの復活と永遠のいのちがあることで、私たちはいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心をもち、最善を尽くしていきることができるのだ。

私が神の前に正しく生きたいと思う理由は、神が見ておられ、神に罰せられることが怖いからではなく、私たちを愛しておられ、私たちを神の子どもとしてくださり、永遠のいのちを与えてくださったからである。だから私たちは、神の前に良心をもって、最善を尽くして生きていきたい。

神は良いお方である。神は私たちをすでに祝福してくださった。だから私の人生は神の祝福に対する応答である。

愛する天のお父様、あなたの愛を感謝します。あなたは私たちに永遠の希望を与えてくださいました。私たちの肉体は滅んでも、私たちの霊は永遠です。ありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。