主は与え主は取られる

そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記 1:21)

ヨブは、あらゆる自分の所有物をはぎ取られた。それはサタンかとやりとりをし、サタンがの違いに手を触れても良いと言う許可を取り付けたからである。呼ぶは自分の財産そして子供たちを失った。

その時ヨブが神の前に祈ったことが冒頭の成句である。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

私たちは全て取り去られても、神を踏むべきかなと賛美することはできるだろうか?主が与えられることは喜ぶが、主は取られることに対しても神を認め、また神を賛美することができるだろうか?

私たちは主が与えてくださった時は当然のように受け止め、取り去られた時にだけ、主のせいにしたり、主に叫ぶようなことをせずに、普段からすべてにおいて主を認めて歩みたい。

愛する天のお父さま、あなたを備えを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。