わたしのもの、わたしの宝

「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は言われる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。あなたがたは再び、正しい人と悪しき者、神に仕える者と仕えない者の違いを見るようになる。」(マラキ書 3:17-18)

神はイスラエルの民を愛しておられる。マラキ書の中で主はイスラエルに言われた。「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は言われる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。」

この箇所の背景にはイスラエルの民の不信の罪があった。主はイスラエルの罪を指摘して言った。「あなたがたのことばは、わたしに対して度を越している。──主は言われる──あなたがたは言う。『私たちが何と言ったというのですか』と。

あなたがたは言う。『神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。今、私たちは高ぶる者を幸せ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる』と。」 

イスラエルの民は神を蔑ろにする言葉と態度を持っていた。

「そのとき、主を恐れる者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で記憶の書が記された。

「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は言われる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。あなたがたは再び、正しい人と悪しき者、神に仕える者と仕えない者の違いを見るようになる。」(マラキ書 3:13-18)

私たちも度を越えた考え方をしていないだろうか?

「神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。今、私たちは高ぶる者を幸せ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる。」というような言葉や態度を持っていないだろうか?

主を畏れ敬い、主に従おうとする人たちに対して主は言われる。「彼らは、わたしのものとなる。わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。あなたがたは再び、正しい人と悪しき者、神に仕える者と仕えない者の違いを見るようになる。」

私たちは主のものである。私たちは主の宝である。主は人が自分に仕える子をあわれむように私たちをあわれんでくださる。主は主を信頼するものを正しい者としてくださり、主に仕える者に祝福を与えてくださる。

今日も主に喜んで仕えていこう。

愛する天のお父様。あなたに喜んで仕えます。あなたの祝福を感謝します。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。