わたしはあなたがたを愛している

「わたしはあなたがたを愛している。──主は言われる──しかし、あなたがたは言う。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。エサウはヤコブの兄ではなかったか。──主のことば──しかし、わたしはヤコブを愛した。わたしはエサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の相続地を荒野のジャッカルのものとした。」(マラキ書 1:2-3 )

主なる神はイスラエルに向かって、わたしはあなたがたを愛していると言われた。なんとパワフルなメッセージだろうか?今日神は同じように私たちに愛しているとパワフルなメッセージを伝えて下さっている。

実際、私たちは誰かから「私はあなたを愛している!」と言われたことはあるだろうか?ロマンチックな場面で恋人同士で愛しているという言葉のやり取りはよくある。では親子関係で「愛しているよ!」「可愛い!」「かっこいいよ!」「大切に思っているよ!」と声掛けされてきただろうか?また自分も声掛けして来ただろうか?

神がイスラエルに「愛している」と声掛けしているのは実に麗しい光景である。

そのイスラエルが主に向かって「ありがとう」と応える姿も、また麗しい光景である。それが神の言葉を大切にし、また神を礼拝し、祈る行為だろう。

しかし、マラキの時代のイスラエルは少し違っていた。その頃のイスラエルは言った。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。神が愛しておられるのに、その愛をわかっていないかのような応答である。

そこで神は実例を出して言われた。「エサウはヤコブの兄ではなかったか。──主のことば──しかし、わたしはヤコブを愛した。わたしはエサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の相続地を荒野のジャッカルのものとした。」主なる神はヤコブを選ばれた。ヤコブとはイスラエルである。エサウの子孫は荒れ果てた山々を相続し、荒野のジャッカルがうろつくような場所であった。エサウをまったく愛していなかったわけではないが、神はヤコブをあえて選ばれたのである。ヤコブ、イスラエルを特別に愛されたのである。

今日神はすべての人を愛しておられる。その中でも神を信じた人々を特別に愛し、具体的には永遠のいのちと神のこどもとされる特権をお与えになった。このことを喜んで日々歩みたい。

愛する天のお父様、あなたを愛します。あなたは良いお方です。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。