わたしがそれだ
イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。(ヨハネの福音書 18:6)
イエスの言葉には力がある。
イスカリオテのユダが、一隊の兵士と祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、イエスがおられたギデロンの谷の向こうにある園にやって来た。イエスをローマに渡して十字架にかけるためであった。
イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜しているのか」と彼らに聞くと、彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。…彼らは後ずさりし、地に倒れた。(ヨハネの福音書 18:3-6)
地に倒れたのは、イエスが堂々としていたことに驚いたからか?それともイエスがご自身の身分を明かし、ナザレ人イエスという名前に権威があったからだったからか?
いずれにせよ、イエスの言葉には力があり、神の名前にも力がある。主は律法の中で「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。」(出エジプト記 20:7)と命じられた。神の名前を安易に唱えることが憚るイスラエルの民は神を表すYHWH(יהוה)という言葉を読まず、主という意味のアドナイאֲדֹנָיという言葉に置き換えたり、アドナイの母音のaoaiをYHWHに付けて、YaHoWaHiと書いてJehovahエホバと言ったりする。
いずれにせよ神の名には力がある。だから頭に来た時に吐き捨てる汚い言葉として神やイエスの名前を使うことは恐ろしいことだ。
しかしナザレ人イエスの名前によって、救いや癒やし、解放等の偉大な働きが起きる。「主の御名を呼び求める者はみな救われる」(ローマ人への手紙 10:13)のである。
イエスの偉大な御名を呼んで日々歩みたい。
愛する天のお父様、あなたの御名を賛美します。あなたは偉大なお方です。あなたに従います。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
