泣き悲しむ時

「その日、万軍の神、主は泣き悲しみ、頭をかぶろにし、荒布をまとうことを命じられたが、 見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、「われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから」。」(イザヤ書 22:12-13)

預言者イザヤが幻の谷、エルサレムについて宣告した。「みな屋根に上ったりして。喧噪に満ちた騒がしい町、おごった都よ。」というのは、エルサレムの都は悲惨な目にあったのに人々が悲しみ、主に心を向けようとしなかったからである。

殺された者たちがいたのは、首領たちはこぞって逃げ、弓を引かないうちに捕らえられたからで、このことに対して主は「私から目をそらせ。私は激しく泣きたい。私の民、この娘の破滅のことで、無理に私を慰めるな。」 と言った。主は愛するエルサレムの町が悲惨な目に遭っていたからである。

このことを通して、主は恐慌と蹂躙と混乱の日が万軍の神、主から来ると言われた。主はユダの覆いを除かれたからである。

エルサレムの住民はダビデの町(エルサレム)に破れが多いのを見て、下の池の水を集めた。(9節) また、エルサレムの家々を数え、その家々を取り壊して城壁を補強し、二重の城壁の間に貯水池を造って古い池の水を引いた。

しかし彼らはこれを造った方には目もくれず、遠い昔にこれを形造った方に目を留めなかったことを神に指摘された。(10-11節) 

イスラエルの民を選び、エルサレムを愛されている主はこう言われた。「その日、万軍の神、主は泣き悲しみ、頭をかぶろにし、荒布をまとうことを命じられたが、 見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、「われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから」(12-13節)

神の愛されているものが破壊されていることに私たちは泣き悲しみ、頭をかぶろにし、荒布をまとうべき時に、私たちが、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲み、その勢いで絶望を語ることを主は良しとされない。

人が主のわざを壊した時は泣き悲しむものであり、主の良きわざを忘れてはならない。絶望視するのではなく、悲しみを通した先に希望があることを告白して歩みたい。

愛する天のお父様、私たちは人の手による罪の結果、また罪の蔓延を悲しみます。あなたは私たちに主イエスキリストにある希望を与えてくださいました。あなたが私たちの人生を再建してくださったように私たちもあなたに信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。