苦しむ人に寄り添う
「そこでテマンびとエリパズは答えて言った、 あなたの悪は大きいではないか。 あなたの罪は、はてしがない。」(ヨブ記 22:1, 5)
あらゆる災いがヨブに臨んだのを聞いて、ヨブの三人の友がめいめい自分の所から尋ねて来た。その内の一人がテマンびとエリパズである。
彼らはヨブをいたわり、慰めようとして、たがいに約束してきた。 しかし彼らは目をあげて遠方から見るとヨブであることを認めがたいほどの姿であったので、声をあげて泣き、めいめい自分の上着を裂き、天に向かって、ちりをうちあげ、自分たちの頭の上にまき散らした。 こうして七日七夜、彼と共に地に座していて、ひと言も彼に話しかける者がなかった。彼の苦しみの非常に大きいのを見たからである。(ヨブ記 2:11-13)
あまりにも哀れな姿に友人たちは言葉を失った。
ヨブを労り、慰めるはずの友がヨブが苦しんでいるのは本人の罪に原因があるのでは、と責めた。たとえ苦しみの原因が本人にあったとしても、もし私たちがその人を正邪の目で見るなら、寄り添うことはできない。
罪に関して主は私たちにこう言われた。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」(ローマ人への手紙 8:1-2)
私たちは苦しみの中に置かれることがある。苦しむ人のそばにいて、話を聞くことを基本とし、祈れそうなら祈り、賛美できそうなら賛美し、聖書のことばを読めそうなら読む。苦しみの中にいる人を中心にして時間を過ごしたい。
主は私たちを慰めてくださるのだから、憐れみの心をもって苦しみを感じる人たちに関わりたい。
愛する天のお父様、あなたは私たちを責めることなく、私たちを罪と死との法則から解放してくださいました。他人の苦しみに寄り添い、よく話を聞く者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。