主のみわざを顧みる

「わざわいなるかな、彼らは朝早く起きて、濃き酒をおい求め、夜のふけるまで飲みつづけて、酒にその身を焼かれている。 彼らの酒宴には琴あり、立琴あり、鼓あり笛あり、ぶどう酒がある。しかし彼らは主のみわざを顧みず、み手のなされる事に目をとめない。」(イザヤ書 5:11-12)

しかし彼らは主のみわざを顧みず、み手のなされる事に目をとめない時、主はわざわいなるかなと言われる。

私たちが主のなされたことを顧みず、主の手のなされる事に目をとめない理由の一つは、飲酒問題が絡んでいる可能性がある。

濃き酒をおい求め、夜のふけるまで飲みつづけて、酒にその身を焼かれている状態はアルコール使用障害(AUD)と呼ばれる精神疾患の一つで、過度な飲酒により飲酒のコントロールが困難になる進行性の疾患と言われる。

主な兆候には、お酒を飲みたいという強い欲求が抑えられなくなる強い渇望があり、お酒が切れると、手の震え、不眠、発汗、吐き気、イライラなどの離脱症状が出る。飲む量を減らそうと思っても、予定以上に飲んでしまうなど、コントロールの喪失し、仕事や家事に影響が出て社会生活への支障があるにもかかわらず飲酒をやめられなくなる。耐性の形成されると、以前と同じ量で酔いが回りにくくなり、早いペースで飲んだり、飲む頻度が高くなったり、アルコール度数が上がったり、アルコール摂取量が多くなる。

お酒に限らず、あらゆる依存は弊害が伴い、主のなされたことを顧みず、主の手のなされる事に目をとめなくなってしまうのだか、いったい何が私たちを物質や人や依存させるのか?

神経伝達物質の中にドーパミンという「快楽物質」があり、このドーパミンが多く分泌されるものに私たちは依存しやすい。例えば、SNSで「いいね」を求め続けたり、ゲームに没頭したり、薬物に手を出すなど、刺激が止められない依存的状態になる。

依存症治療には「ドーパミンファスティング」という手法があり、ドーパミンを過剰に引き出す行為を時間的に制限し、徐々に刺激レベルを下げていくことで脳を過度な快楽追求から解放し、通常の生活へ目を向け直すのだ。この期間中は、散歩や瞑想、読書など、低刺激で心身に良い活動が推奨されるが、主のみわざを顧みること、主の手のなされる事に目をとめることは大いに役立つ。

依存症には背景となるストレスや家庭環境、仕事上の問題が潜む場合が多い。生活上のストレス要因に目を向け、解決策を見出していくことが必要だ。薬物依存に苦しむ人が依存の根底にある家族関係を改善することで、オーバードーズを回避してゆく。飲酒問題で苦しむ人が幼少期の環境やそれが引き起こした現在の家族関係に目を向けることで禁酒に踏み切り、やがてお酒を口にしなくなる。

私たちが主のみわざを顧みて、主の御手のなされる事に目をとめる時、私たちは依存的なものから解放されてゆく。私たちに平和と祝福を与え、心を満たしてくださる方に目を留めていきたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの救いの源です。今日も私たちを恵みで包んでくださり、ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。