神の賜物はお金で買えない

「そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。 シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、 「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。 そこで、ペテロが彼に言った、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。 おまえの心が、神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。 だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。 おまえには、まだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。それが、わたしにわかっている」。 シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。」(‭‭使徒行伝‬ ‭8‬:‭17‬-‭24‬)

聖霊を受けることは、実に素晴らしいことだ。なぜなら人を変えるほど力のある神の賜物だからである。そして神の働きを私たちが行うことができる。

そして聖霊の賜物はすべての人に与えられている。「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」(‭‭ペテロの第一の手紙‬ ‭4‬:‭10‬)

では賜物にはどんな種類があるのだろうか?

「このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、 奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、 勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。」(‭‭ローマ人への手紙‬ ‭12‬:‭6‬-‭8‬)

「すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。」(‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭12‬:‭8‬-‭10‬)

「降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。 そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。 」(エペソ人への手紙‬ ‭4‬:‭10‬-‭11)

聖書をざっと見渡しても、20以上の賜物がリストアップされているのがわかる。どれも実に魅力的であり、力強いものだ。だから、シモンは聖霊をお金を払ってでも買いたいと思ったのだ。

しかし、神の賜物はお金で買えるものではない。聖霊を買おうと考えること自体が悪事だとペテロは言った。聖霊は神を信じる者には誰にでも与えられる賜物であり、人間的な思いや操作で得られるものではない。ただ神が御心のままに、私たちに与えられる素晴らしいものである。私たちは与えられたものをただ感謝して、忠実に用いるのみである。

愛する天のお父様、あなたは私たちが御子イエスを信じ、心の中に受け入れる時、私たちに相応しい賜物を無償で与えてくださいます。私たちはあなたが与えてくださった賜物を感謝して用いることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。