くじ
「しかし、イスラエルの人々は奉納物について罪を犯した。すなわちユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカンが奉納物を取ったのである。それで主はイスラエルの人々にむかって怒りを発せられた。…ザブデの家族を男ひとりびとり進み出させたところ、アカンがくじに当った。アカンはユダの部族のうちの、ゼラの子、ザブデの子なるカルミの子である。」(ヨシュア記 7:1, 18)
くじは「偶然」「幸運」という言葉に結びつけられて用いられることが多い。順番を決めたり、大勢の人の中から特定の人を選出したり、また吉凶など占ったり、勝敗を決めるに用いられている。日本では、くじは「みくじ」と言われ、神前においてこれを引きカミのお告げを聴くものとされてきたらしい。
聖書の中にもくじがたびたび登場する。興味深いことに、くじに当たった人たちは、ヨナもアカンのように神の前に罪を犯した人たちであり、神の確かな介入の足跡を見ることができる。「くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。」(箴言 16:33)
私たちは神から良い意味でも悪い意味でも逃れることはできない。神の愛から逃れることができないように、罪から逃れることはできない。
罪から逃れることはできないが、私たちが正直に罪を告白する時、神は私たちの罪を赦し、赦免してくださる。
私たちの人生は、自由に選ぶことができるが、神の主権あるご計画の下にあることも覚えておきたい。
愛する天のお父様、私たちの人生はあなたのものです。大船に乗った気持ちで安心することができます。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。