川を渡ろうとする前に、何をして良いかわからないとき

聖句:”ヨシュアは翌朝早く起き、すべてのイスラエルの子らとともにシティムを旅立ち、ヨルダン川のところまで来て、それを渡る前にそこに泊まった。 三日後、つかさたちは宿営の中を巡り、 民に命じた。「あなたがたの神、主の契約の箱を見、さらにレビ人の祭司たちがそれを担いでいるのを見たら、自分のいる場所を出発して、その後を進みなさい。 あなたがたが行くべき道を知るためである。あなたがたは今まで、この道を通ったことがないからだ。ただし、あなたがたと箱の間に二千キュビトほどの距離をおけ。箱に近づいてはならない。」 ヨシュアは民に言った。「あなたがたは自らを聖別しなさい。明日、主があなたがたのただ中で不思議を行われるから。」 ヨシュアは祭司たちに「契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って渡りなさい」と命じた。そこで彼らは契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って進んだ。 主はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。 あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」 ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「ここに来て、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」 ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたの中にいて、自分たちの前からカナン人、ヒッタイト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人を必ず追い払われることを、あなたがたは次のことで知るようになる。 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。 今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。 全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰となって立ち止まる。」” ヨシュア記 3章1~13節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:
            私たちは皆人生の場面で新たなチャレンジに向き合います。ヨシュアはあらなた任務に就こうとしていました。シティムからヨルダン川まで来たところで、それを渡る前にそこに泊まりました。  新たな仕事、新たな役割に就き、いろんな人と共に働けることは、ただ楽しみです。ヨルダン川に渡る前、イスラエルのつかさたちは、民に指示を与え、これからの旅のために必要なことを命じ、彼らに心の準備をさせなければなりませんでした。           ここで、イエス様に従う者として、私は人生における川を渡るための自らの準備の大切さを思い起こされました。これらは、新たな始まりの前にクリスチャンとして必要なとても大切な行動規範です。多くのイスラエルの民はこれまでモーセの指示に従って生きてきました。そして、これからはヨシュアからつかさたちに渡された指示を、そのつかさたちに聞き、その指示に従わなければなりませんでした。 
·      何をしたら良いか、そして、どこに行ったら良いかを考えるよう、自らその準備をすることは必須です。準備は必ず必要です。それによって、これまで行ったことのない場所で、どの道を進んだら良いか、何をしたら良いかを神様からの知恵を借りて見極めることができるようになるためです。·      神様の臨在を表す契約の箱に目を留めていなければならない。私の目が常に神様の臨在に向いていなければなりません。神様が動く時、私も動きます。すなわち、私が動かずに、神様に自分が行く方向についてきてもらうことを期待しないということです。私が神様の後をついて行くこと。自分にとって快適な場所に長く留まっていてはいけないのです。·      自らをきよめなければなりません。それは、主がされようとする素晴らしいものを目にするためです。きよめるということは自分を聖別することです。自分自身を神様の目的に捧げることです。誰も、自分勝手の生き方をしながら、神様に自分の人生で素晴らしみわざをしてもらおうと期待することはできません。聖別された人生を生きるということは神様への従順のうちに全てを犠牲にすることです。 ·      神様が人を選ぶとき、神様がその人を引き上げてくれます。新しい役割や地位について、一生懸命自分を売り込もうとする必要はありません。その役割に就きながら、神様に引き上げていただく必要があるのです。今日、私は、自分がどんな役割にあったとしても、神様のみことばを高くかかげ、神様を第一にしなければならないことを学びました。自分のことをリーダーであると自慢するのが私の役目ではありません。それをしてくれるのは神様の役目です。私は、ただ神様のみことばに従うのみです。·      私の神様である主のみことばに耳を傾けることを学ばなければなりません。主のみことばを聞くことは自分が今どこにいるのか、また、動いたほうがいいのか、それとも待つべきかを知る唯一確かな方法です。このことは、私の人生の旅路に極めて重要なことです。自分の勝手な思い込みで動いてはいけないのです。·      自分の新しい役割を全うするために私が前に向かって進むことの妨げになる

障害物を必ず自分たちの前から追い払いてくれる神様に信頼しなければなりません。新しいことに踏み出すような、人生で川を渡る時には常になんらかの障害に遭遇します。·      最後に、神様が私にするようにと言われることに関して、その責任を分かち合うような手助けとなるチーム作りを選んでいかなければなりません。適用:            人生におけるあらゆる領域で新しい一歩を踏み出す意味で、川を渡ることには、その目標に向かって前に向かって進むとき、

常に障害が存在します。イエス様との歩みにおいて、私は、イエス様のみこころと目的を求め続けていきます。神様が私に向かって動くようにと言われた時に、その声に従って動いていきます。主のみことばが私に語られた時には、その声をはっきりと聞きたいです。神様の目的を妨害する敵を追い払ってくださる神様に信頼していきたいと思います。神様のみことばに従い、それを尊ぶことに自らをコミットしていきます。自分のことを売り込んだり、人の前で自慢などしません。自分の役割について角笛を鳴らすようなことをせず、神様が讃えられ、神様に栄光が帰されることを常に望んでいます。
祈り:            イエス様、あなたのことに従い、あなたを讃えるような歩みをどうしたらできるのか、私に教えてください。あなたのみことばに信頼することができるよう私を教えてください。 あなたが持たれている目標や目的に私を導いてくださる中、私がどうやってあなたに信頼していったら良いか、私を教えてください。自分の知力に頼ることなく、すべての道であなたを信頼することを思い起こさせてくださり感謝します。あなたの思いをはっきり聞くことができるよう助けてください。そして、私を高慢という罪から離れられるよう助けてください。あなたの導きを求め、あなたに日々目を向けます。アーメン!