神の奥義を管理する

「このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。 この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。」(‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭4‬:‭1‬-‭2‬ )

私たちはキリストに仕える者、神の奥義を管理している者である。キリストという方についても、神の奥義についても、まだ知らないことは多いが、信仰生活を続けることで少しずつわかってきている。

クリスチャンとして生きることは、何かユートピアのようなところで、ほんわかと生きているのではないようだ。キリストに仕えることは、かなり積極的に、全身全霊で取り組んで愛を実践することのようだ。キリストは罪の無い方、罪を知らない方であるから、キリストに仕えること自体に問題はないはずだ。しかし私たち自身に罪の性質があるため、困難を覚えることがある。罪を赦されることで心の解放を得られても、罪の性質は根強い。

神の奥義は、神から教えてもらわなければわからない。私たちが神について知るべきことは、主を礼拝し主に仕えることによって理解へとつながる。神について知識だけではなく、神の教えを実践することで、私たちにとって確かなものとなる。神の奥義を知ったのなら、私たちは管理するように召されている。神の奥義に対して無知であるかのように振る舞うのでもなく、無頓着だったり、放置するのではなく、忠実に管理するように召されている。

キリストに仕えることの意味や意義を考え、主に感謝して歩みたい。

愛する天のお父様、御子イエスキリストに仕えます。また神の奥義を教えてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。