霊は人を生かす
「神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。 もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか。」(コリント人への第二の手紙 3:6-8)
文字とは律法のこと。モーセの律法は人を生かすのではなく、人を殺す。つまり律法に救いはない。
律法は私たちに「〇〇せよ」「〇〇してはならない」と命じ、違反すると罰せられる。その律法を完璧に守れないと、神が求める「正しさ」の基準に達することはできない。
その基準に達した人はかつていたか?残念ながらイエスを除いて、人類史上誰一人いない。神が求める正しさの基準は高く、人の努力では到達できないのである。
そこで神は新しい契約を与えられた。新しい契約は、神はひとり子イエスをこの地上に送り、誰でもイエスの十字架のあがないを信じるのなら救われるようにしてくださったことである。神の霊の働きである私たちの信仰によって私たちは救われることができる。
人を救い人を生かすのは霊であって文字ではない。神の霊により私たちは信じ、救われることができる。
愛する天のお父様、あなたの霊によるいのちの働きには栄光があります。主イエスキリストの御名によって、アーメン。