私たちの推薦状

「わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。」(‭‭コリント人への第二の手紙‬ ‭3‬:‭2‬)

パウロが彼らの推薦状は、コリントの教会だと言った。コリントの教会は偶像礼拝、不品行、争いなど数々の問題に直面していた。問題山積し、必ずしも他のところに誇れるような状態ではなかった教会のことをパウロは「推薦状」だと表現したのはなぜだろうか?

眩いばかりの輝く功績を誇るような状態、状況でない、問題だらけの人生でさえ、キリストが共におられることにより、どんな人でもキリストの素晴らしさを証することができる「推薦状」と成り得る。

私たちは決して自分自身を誇ることはできない。しかし私たちの内におられるお方を誇ることができる。イエス・キリストは私たちの心の中におられる。

内側が変えられると、外側が変えられる。私たち自身は誇ることはできないが、私たちの内におられるキリストは栄光輝く救い主である。キリストが私たちの内におられる時に私たちは推薦状となることができる。

愛する天のお父様、あなたの御名を賛美します。御子イエスキリストが私たちを生かし、あなたの目的のために用いてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。