神の怒りに勝る神の愛
「わたしの怒りが全うされると、わたしは彼らに対するわたしの憤りを静めて満足する。わたしが彼らに対する憤りを全うするとき、彼らは、主であるわたしが熱心に語ったことを知ろう。」(エゼキエル 5:13)
私たちは神の愛、あわれみ、やさしさについて知っている。神の愛があるから私たちは救われ、平安が与えられ、喜びに満ちて生きていける。
しかし神の怒りを知ることなしに神の愛を知ることはできない。私たちが神を信じないで、神に従わず、神の計画を無視して自分勝手に生きるからこそ、公義なる神は私たちに対して怒られるのである。神が怒るのは私たちの罪に対してである。私たちの罪は悔い改めることで、神の愛によって取り去られ、私たちは救いを得て、平安と喜びと希望に満ちあふれて生きていくことができる。
主はイスラエルとユダに対して怒りを表わされた。それは主を主として認めなかったからである。だから、主は「主であるわたしが熱心に語ったことを(彼らが)知」ることで、主の元に帰ってきて欲しいと思っていた。主がイスラエルとユダに対して無関心で怒りのままでいるのではなく、愛しているからこそ彼らに対して熱心であったことを知って欲しいと思っておられる。主が私たちに願っているのは、私たちが主を主としてあがめることである。
主の愛とあわれみは主の怒りより大きい。主を愛し、主に従っていこう。
愛する天のお父様、あなたは偉大な神、私たちの罪を悲しみ、怒っても、私たちを愛しておられるため、私たちが悔い改める時、私たちの罪を赦してくださいます。主よ、感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。