彼らを恐れるな
「しかし主はわたしに言われた、 「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。 だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、 あなたに命じることをみな語らなければならない。 彼らを恐れてはならない、 わたしがあなたと共にいて、 あなたを救うからである」と主は仰せられる。」(エレミヤ書 1:7-8)
アモンの子、ユダの王ヨシヤの時、すなわちその治世の十三年に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、 あなたを知り、 あなたがまだ生れないさきに、 あなたを聖別し、 あなたを立てて万国の預言者とした」。
その時わたし(エレミヤ)は言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
しかし主はエレミヤに言われた、 「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。 だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、 あなたに命じることをみな語らなければならない。 彼らを恐れてはならない、 わたしがあなたと共にいて、 あなたを救うからである」と主は仰せられる。
エレミヤは続けて言った。「そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、 「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。 見よ、わたしはきょう、 あなたを万民の上と、万国の上に立て、 あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、 あるいは滅ぼし、あるいは倒し、 あるいは建て、あるいは植えさせる」。」(エレミヤ書 1:2, 5-10)
エレミヤは他の預言者がそうであったように主なる神に預言者として選ばれ、主から預かった言葉を人々に伝えた。
主の言葉は通常人間にとって受け入れられないことが多い。イスラエルの民を始め、人類の歴史がそれを証明している。主の言葉は私たちの罪について、また主に従うことについて語り、私たちには信仰と従順な心がなければ受け入れることはできない。
エレミヤは万国に告げる言葉を主から預かった。主の言葉は真理であり、すべて語らなければならないものであった。エレミヤはそれらを語ることで人々から受け入れられず迫害に遭うことを覚悟で、遣わされた人々に語った。エレミヤは実際に身体的・精神的苦役を受けたのだが、私たちが神からのメッセージを語る時に、迫害に遭うことも覚悟で臨む必要がある。
しかし主が私たちに命じられたように、主は私たちと共にいてくださり、私たちを救うと約束してくださっているのだから、人を恐れずに福音を語る者となりたい。
愛する天のお父様、あなたの真理、そして良い知らせなる福音を語るとき、色々と言い訳をせずに、喜んで語る者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。