恵みと憐れみ
「そのころ、ヒゼキヤは病んで死ぬばかりであったが、主に祈ったので、主はこれに答えて、しるしを賜わった。 しかしヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせず、その心が高ぶったので、怒りが彼とユダおよびエルサレムに臨もうとしたが、 ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり、またエルサレムの住民も同様にしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった。」(歴代誌下 32:24-26)
ユダの王ヒゼキヤは、「…すべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、 高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。人々はこれをネホシタンと呼んだ。 ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。 主が彼と共におられたので、すべて彼が出て戦うところで功をあらわした。彼はアッスリヤの王にそむいて、彼に仕えなかった。 」
さてヒゼキヤ王の第四年にアッスリヤの王シャルマネセルはサマリヤに攻め上って、これを囲んだが、 ヒゼキヤ王の第十四年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取った。(列王記下 18:3-5, 7, 9)
「その時アモツの子イザヤは人をつかわしてヒゼキヤに言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられる、『アッスリヤの王セナケリブについてあなたがわたしに祈ったことは聞いた』。 わたしは自分のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守って、これを救うであろう』」。 その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた。」(列王記下 19:20, 34-35)
ヒゼキヤはこのような体験をしながらも、いざ病んで死ぬばかりとなり、主に祈ると主がしるしを賜ってくださったのにも関わらず、ヒゼキヤは主の恵みに報いることをせず、その心が高ぶった。
高ぶり、高慢な心は主が忌み嫌われる。主の怒りがヒゼキヤとユダおよびエルサレムに臨もうとしたが、 ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり、またエルサレムの住民も同様にしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった。主の憐れみである。
私たちは主の恵みに感謝するが、その恵みを忘れ、主の恵みに報いることをせずに高ぶってしまうと危険である。主は高ぶる者に敵対されるからである。
主の恵みに感謝して生きていきたい。
愛する天のお父様、あなたの恵みを感謝します。また憐れみをありがとうございます。どうかあなたの前に謙って歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。