罪と戦う訓練

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭12‬:‭11‬)

ヘブル書の作者は読者たちに言った。「あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。 」

そう言った背景には「あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、 「わたしの子よ、 主の訓練を軽んじてはいけない。 主に責められるとき、弱り果ててはならない。 主は愛する者を訓練し、 受けいれるすべての子を、 むち打たれるのである」。 」という言葉がある。

私たちにチャレンジしたのは、罪と戦う訓練であった。

「あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。」

神が私たちを子として取り扱っておられるからこそ、私たちが罪を犯さないように生きることは「当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。」

「しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭12‬:‭3‬-‭11) 訓練とは後から結実したものを見るための助けとなる。

なんでも訓練無しに良い働きはできない。学業も仕事も同じだ。罪に対してNOと言い、言い続けることで自らを訓練し、聖霊に満たされ、聖霊に助けていただいて歩みたい。

愛する天のお父様、罪に対して明白な訣別をして日々歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。