ささげもの

「それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。」(へブル人への手紙 13:15,16)

神が私たちに与えてくださるあらゆるものに対して、私たちは神にささげものをする。

イスラエルの民は、かつて動物や穀物をささげていた。神がアブラハムの心を試すために、年老いてから与えられた最愛の息子イサクを祭壇でささげるように命じられた。アブラハムがイサクを惜しまず神に従い、ささげる心を見られた神はアブラハムが刀を振り下ろすことを許さなかった。

今日も神は私たちに同じささげる心を求めておられる。

イエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげることである。私たちが賛美を歌うのは神を礼拝するためのもの。ゴスペルも神をほめたたえる歌だ。神を礼拝すると心がスッキリする。

また善を行うことや、分かち合うことも神へのささげものである。教会で奉仕すると皆の益となり、また献金や献品や賜物を用いることも、神へのささげものである。私たちが心から主にささげることを礼拝と言う。

今日は日曜日。教会で主に心からのささげもの、礼拝を捧げていきたい。

愛する天のお父様、今日もあなたを礼拝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。