命をかける

「その時ダビデは要害におり、ペリシテびとの先陣はベツレヘムにあったが、 ダビデはせつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。 そこでその三人はペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をくみ取って、ダビデのもとに携えて来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、 言った、「わが神よ、わたしは断じてこれをいたしません。命をかけて行ったこの人たちの血をどうしてわたしは飲むことができましょう。彼らは命をかけてこの水をとって来たのです」。それゆえ、ダビデはこの水を飲もうとはしなかった。三勇士はこのことをおこなった。」(‭‭歴代誌上‬ ‭11‬:‭16‬-‭19‬)

ダビデは要害にいたため、身の安全を確保するために自由に外出できる状況ではなかった。

イスラエルは砂漠地帯の端に位置し、雨量が年間を通して少なく乾燥している。古代から現在に至るまで、水はとても貴重な資源。ネゲブなどで見つかった古代の遺跡を見ると、雨水を溜めて貯え、別な場所に送水するための古代の給水施設が各地で発見されており、数千年前からこの地方の人々は、水の保存に頭を悩ませていたことがわかる。今日限られた水資源を最大限に利用する方法が開発されている。排水の再利用、人工降雨、塩水の脱塩化、海水の飲料水化などが挙げられるが、日本のように年間を通して雨が降る国では、このような水の問題はない。

周囲の人々と同様に、ダビデは喉が渇いていた。ダビデはせつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。

すると三人の勇士たちが、ペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をくみ取って、ダビデのもとに携えて来た。彼らは自分の王のために、愛するダビデのために、身の危険を冒して水を取りに行ったのだ。

しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで言った、「わが神よ、わたしは断じてこれをいたしません。命をかけて行ったこの人たちの血をどうしてわたしは飲むことができましょう。彼らは命をかけてこの水をとって来たのです」。それゆえ、ダビデはこの水を飲もうとはしなかった。とても軽々しく飲む気になれなかったのであろう。

命をかけて得たものは尊い。ダビデの前に差し出された水は、三勇士の血に値する価値あるものだった。

私は自分の神のために命を差し出すことができるだろうか?色々と弁解しては、神に時間や賜物、経済やあらゆるものを出し惜しんでいないか?

すべてを差し出して下さった主に、快くすべてを差し出す、命をかけて主のために生きる者でありたい。主は私のためにすべてを満たしてくださるのだから。

愛する天のお父様、あなたのために出し惜しみするのではなく、喜んで仕え、ささげる者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。