主を捨てるな
「イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、 かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起した。」(士師記 2:11-12)
ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んで、その後ほかの時代が起ったが、彼らは主を知らず、また主がイスラエルのために行われたわざをも知らなかった。
イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、 かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起した。
彼らは主を捨てて、バアルとアシタロテに仕えたので、 主の怒りがイスラエルに対して燃え、かすめ奪う者の手にわたして、かすめ奪わせ、かつ周囲のもろもろの敵の手に売られたので、彼らは再びその敵に立ち向かうことができなかった。彼らがどこへ行っても、主の手は彼らに災をした。これは主がかつて言われ、また主が彼らに誓われたとおりで、彼らはひどく悩んだ。(士師記 2:8, 10-15)
主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従ったイスラエルには、あらゆる災いが降りかかり、彼らはひどく悩んだ。神との関係がもう既に出来ているのにもかかわらず、主を捨てたことで招いた結果だった。
主を捨てないことが最善である。神罰が降ることは、神に背を向けるなら当然の報いと言えるが、イスラエルの神、私たちの神は神罰を超えて私たちを憐れみ赦してくださる懐の深い方でもある。
ならば余計に主を捨てないことが大切ではないか。主は私たちを愛し、私たちを見捨てないと言われといるのだから。
愛する天のお父様、あなたが私たちを愛してくださり、ありがとうございます。私たちもあなたを愛し、あなたに従うことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。