主を知る
「わたしはあなたを、もろもろの国民のうちに散らし、国々の間にまき、そしてあなたから汚れを除く。 わたしはあなたによって、もろもろの国民の前に汚される。そしてあなたはわたしが主であることを知る」。」(エゼキエル書 22:15-16)
イスラエルに向けて語られた言葉である。主はイスラエルを、もろもろの国民のうちに散らした。これをディアスポラという。主がイスラエルの民を国々の間にまいたのは、イスラエルから汚れを除くためだったという。
イスラエルの民から主に反逆する心は取り除かれたかどうかは、主が判断するところだが、イスラエルの歴史をみても、主がイスラエルに対して苦しみを与え、イスラエルが主のもとに帰ってくることを延々と繰り返している。
イスラエルによって、もろもろの国民の前に汚されるとあるから、イスラエルの汚れ、もしくは人々の汚れは簡単には取り去られていない。
イスラエルの民が何度も苦しみを通して「わたしが主であることを知る」と言われたように、最終的には、イスラエルの民は主が天地を治めておられることに気づく。
私たちはもしかしたら、まるで神など存在しないかのように振る舞ったりするかもしれない。しかし、最終的に主を知ることになる。
何かあってからではなく、早い内に主を知りたい。
愛する天のお父様、私たちがあなたを早いうちに知ることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。