暢気にかまえている場合じゃない
「「人の子よ、見よ、イスラエルの家は言う、『彼の見る幻は、なお多くの日の後の事である。彼が預言することは遠い後の時のことである』と。 それゆえ、彼らに言え、主なる神はこう言われる、わたしの言葉はもはや延びない。わたしの語る言葉は成就すると、主なる神は言われる」。」(エゼキエル書 12:27-28)
暢気(のんき)に構えているのも時には良いが、切羽詰まった深刻かつ危機的状況では、そうもいかない。
イスラエルの民は自分たちの犯してきた罪の深刻さを理解していなかった。だからエゼキエルの預言について、「彼の見る幻は、なお多くの日の後の事である。彼が預言することは遠い後の時のことである」などと、あしらった。
暢気に構えるイスラエルの民を横目に、主は言われた。「わたしの言葉はもはや延びない。わたしの語る言葉は成就する」と。つまり、イスラエルの民の反逆に対する神のさばきは、遠い日の出来事ではなく、近日中に起きると警告され、その通りとなった。
私たちは神の言葉を軽くあしらってはならない。主がすぐに来ると言われたことは必ず実現する。私たちが油断している時にこそ、主の日は思いもよらぬ時にやってくる。
愛する天のお父様、あなたの忍耐を軽々しく考えることがありませんように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。